♯506 どうする家康第23話ネタバレ&感想 ~瀬名、覚醒~

こんにちは。ひろくんです。

 明日からリーグ戦再開。4日間のお休みは選手にとっていい結果になりますように!

 大河ドラマ、朝ドラ、その他のNHK番組が観れるNHKオンデマンドはuネクストがおすすめです。



 今日はどうする家康第23話のネタバレ&感想を書いていきたいと思います。ネタバレになりますので復習がてら読んでいただきたいです。ネタバレ嫌な方はごめんなさい。

 千代が築山にやってくる。

 「徳川さまと武田の戦はまだまだ続きそうな」と千代が言うと

 「それはあなたの願望では?長篠では多くの家臣を失いました。和議を結ぶべきでは?武田さまが和睦を申し入れればこの戦は終わるでしょう」と瀬名が返すと

 「ご心配には及びませぬ。1度負けたくらいで武田はびくともしません。勝頼さまはますます意気揚々です。お困りなのはそちらでは?織田さまの手先になって戦、戦、戦。岡崎はずっと盾にされておりますもの。和睦をしたいのはお方様のほうでは?」と千代が言うと

 瀬名はお茶を飲みながら「あなたが駆け引きをやめれば本音を話せれるんだけど」と返すと千代は甲斐に帰っていきました。

 甲斐に戻った千代は穴山信君に指示されます。武田は信玄のころより調略を得意としており瀬名を自軍に取り込もうと考えている。

 勝頼は長篠設楽原の戦い以降も領土拡大を狙っている。

 1575(天正3)年9月、家康は遠江の小山城を攻めていました。信康、石川数正、酒井忠次の活躍で落城寸前まで追い込んでいる。

 そこに勝頼本隊が救援しにやってきて、勝頼の側には岡部元信がいる。岡部元信はかつて今川家の重臣です。

 それによって家康は退くよう言うが信康は反発する。

 信康は言うことを聞かずに出て行ってしまう。

 「血気盛んなのは悪いことではないんですが。近ごろ、気が荒ぶることを抑えられない様子で」と数正は言いました。

 家康たちの不安をよそに信康は勝頼軍を蹴散らしていく。信康は意気揚々と岡崎城に帰ってきた。瀬名は不安そうに五徳姫は誇らしげに思っている。

 浜松城ではお葉が家康の肩を揉んで疲れを癒している。

 そのあと、家康は台所に干し柿を取りに行くと、侍女の於愛の方にお尻を叩かれる。

 於愛の方は近眼で殿だとは知らずに叩いてしまった。

 一方、信康の変化を気に病む瀬名は頻繁に千代と会うようになった。

 千代を見送った門番は五徳姫に報告。五徳姫は涙を流しながら信長に報告する。

 翌日、伯父の水野信元が信長に呼び出される。

 「岩城城の武田軍に兵糧を送っておろう」と佐久間信盛が言うと

 「まさか?誰がそのようなことを?言いがかりでございます」と信元が返すと

 「水野信元、追って処分を言い渡す。岡崎で待て」と信長は言います。

 信長はそれ以上何も言わずに出て行った。その後、信盛は浜松城に行き家康と会っていた。

 信盛は家康に伯父の信元を成敗しろと信長からのお下知だと言う。

 その後、家康は岡崎に向かい、信元は危機感を感じ、徳川家の菩提寺である大樹寺で義弟久松長家の世話になっている。

 翌日、散歩しているところを家康たちが信元を取り囲んだ。家康の側には井伊万千代、平岩親吉、数正がいる。

 「よう甥っ子、墓参りか?俺の疑いは晴れたか?」と信元は言い続けて

 「家康、上様の誤解だな。見当はついとる。佐久間よ。やつは俺のことを嫌っておる。お前から上様に言ってくれ。誤解じゃと。それで終わりじゃ」と言います。

 「すでに断は下っております」と数正は言うと

 「ばかばかしい。家康、しくじったことにして俺を逃がしてしまいな。俺はお前の伯父じゃぞ。今までも何度も助けにきたじゃろう。信長の仲介をしたのもわしじゃぞ」と信元は言い

 「そうじゃ、そうしてわしは信長の家臣になり、いまおるんじゃ」と家康は返すと

 「そうか、お前じゃ。お前への見せしめなんじゃ。裏でこそこそやってるとこういうことになるぞっていう忠告じゃ。信長のやりそうなことよ」と信元は言い続けて

 「お前の身内にこそこそやっておるものがおるじゃろう。俺が岡崎に入らせたのはそういうことじゃ」と言うと

 「いい加減なことを」と家康は返すと

 「確かにわしはお前のことを知らん。けど、信長は知っておるぞ。気をつけろ。信長はお見通しじゃ」と信元は言い続けて

 長家を羽交い締めにして道を開けるよう言うが背後から親吉が成敗する。

 岡崎城に戻った親吉は信元の死を瀬名と信康に報告。

 家康は信元に言われたことでなかなか寝れない。そのため笛のうまい於愛の方が吹いているがときどき音を外す。もうちょっと聴きたいと家康は言い於愛の方を側に寄せた。

 その頃、瀬名は布団の中で後悔している。千代と密会していたことが信元の死を招いてしまった。

 年が明けて、1576(天正4)年、亀姫が奥平信昌のもとに嫁いでいきました。

 一方、お葉と親吉が於愛の方を連れてやってきて側室の話をする。瀬名は許して於愛の方は晴れて家康の側室になることができた。

 そのタイミングで家臣がやってきて信康が僧を斬ったとのこと。

 瀬名は信康を築山で休ませる。信康は僧に狼藉を働いたことを悔いている。

 「あの僧になんと謝ればいいのでしょう?みなが強くなれというから私は強くなりました。強くなれば私が私じゃなくなりました。いつまで戦えばよいのですか?」と信康は本音を語ると

 「母にはずっと胸に秘めた考えがある。もしそなたがやると言うのなら母は全力でそれを成すための覚悟はできておる」と瀬名は言いました。

 その翌日、瀬名は侍女そして門番を入れ替える。そのことは家康と五徳姫に伝わる。

 そして千代を呼んで上の者と話をしたいと言いました。

 千代は甲斐に戻って呼んできました。

 やってきたのは唐の国の医師である滅敬でした。でもその正体は穴山信君だったのです。

 感想としては瀬名はやってはいけないところに手を出してしまいました。息子のためにやったことと思いますがだめなことです。

これからも当ブログをよろしくお願いします。

🔥25

コメント

タイトルとURLをコピーしました