♯616 どうする家康第38話ネタバレ&感想 ~唐入り~

こんにちは。ひろくんです。

 今日はもともと体育の日。ハッピーマンデー法により日にちが固定されず3年前からスポーツの日に改称されました。

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 今日はどうする家康第38話のネタバレ&感想を書いていきたいと思います。ネタバレになりますので復習がてら読んでいただきたいです。ネタバレ嫌な方はごめんなさい。

 秀吉の長男鶴松がわずか3歳で病没。そこから秀吉の暴走が始まる。

 天下統一した秀吉は甥の秀次に関白を譲り太閤と呼ばれるようになりました。

 秀吉の次の標的は海外。朝鮮を従え明国を攻めること。でも朝鮮は従わないため先発隊として加藤清正らが朝鮮に出陣。秀吉は名護屋城に大名を集めました。

 「これからみなと海を渡るぞ」と秀吉は言いました。

 加藤清正は連戦連勝との報告が入り、秀吉はご機嫌。

 「ゆくゆくは天竺や南蛮もわれらのものになるだろう」と秀吉は言いました。

 みなが盛り上がっているが異を唱えるものがいました。五奉行の一人である浅野長政です。秀吉は長政を成敗しようとしますが家康が間に入り止めました。

 ある日、家康のもとにお客様がやってきました。

 「いやあ、立派になられたな。大納言殿」と昌山が言いました。

 昌山は室町幕府15代将軍足利義昭です。将軍職を返還し出家して現在は秀吉のお伽周tyle=”text-align center;”>こんにちは。ひろくんです。

 今日はもともと体育の日。ハッピーマンデー法により日にちが固定されず3年前からスポーツの日に改称されました。

 天下統一した秀吉は甥の秀次に関白を譲り太閤と呼ばれるようになりました。

 秀吉の次の標的は海外。朝鮮を従え明国を攻めること。でも朝鮮は従わないため先発隊として加藤清正らが朝鮮に出陣。秀吉は名護屋城に大名を集めました。

 「これからみなと海を渡るぞ」と秀吉は言いました。

 加藤清正は連戦連勝との報告が入り、秀吉はご機嫌。

 「ゆくゆくは天竺や南蛮もわれらのものになるだろう」と秀吉は言いました。

 みなが盛り上がっているが異を唱えるものがいました。五奉行の一人である浅野長政です。秀吉は長政を成敗しようとしますが家康が間に入り止めました。

 ある日、家康のもとにお客様がやってきました。

 「いやあ、立派になられたな。大納言殿」と昌山が言いました。

 昌山は室町幕府15代将軍足利義昭です。将軍職を返還し出家して現在は秀吉の御伽衆(話し相手)になっている。

 その日、服部半蔵が朝鮮半島での戦の情報を持ってきます。

 「藤堂高虎の軍勢が朝鮮半島でやられたとの噂があります」と半蔵が言うと

 「そんな話聞いておらんぞ」と家康が言うと

 「すでに現地に渡ってるものの家中には、戦地の様子が伝わってるものと思われます」と半蔵が言いました。

 家康は出陣の準備はできているが現状がわからないのに家臣たちを戦地へ向かわせることができない。

 家康は本多忠勝を連れて本陣の石田三成に確認しに行く。この情報は秀吉にも伝わっていない。

 「わしも正直に申すがこの戦をやる必要があっただろうか」と家康は言いました。

 家康は戦を止めてもらうようと秀吉に言いますが

 「それは日ノ本の民のため、朝鮮半島の民のため、明国の民のためじゃ」と秀吉が言うと

 「殿下、この戦にまったく公私混同がないと言い切れますか。茶々さまを明国に連れていくためではありませんか」と家康が言いました。

 家康は覚悟を決めて秀吉の目前に刀を置きました。

 「どうしても参るのであれば私はここで腹を切ります。殿下の代わりは殿下しかいません」と家康が言いました。

 秀吉はそう言われて渡海の延期を承認する。

 秀吉は母の大政所が危篤と知り大坂に戻るが間に合わなかった。ここ数年で弟の秀長、妹の旭姫、息子の鶴松と訃報が続いている。

 ある日、徳川の陣地に茶々がやってきました。

 「家康殿にどうしても聞きたかったんです。私の母のこと。母は最期まで家康殿の助けを待っていました。なぜ来てくれなかったか」と茶々が言うと

 「すまなかったと思っております」と家康が言うと

 「茶々は家康殿に守ってほしく存じます」と茶々が言うと 

 「私にできることなら何なりと」と家康が言いました。

 10月になり半蔵から最新情報が届けられる。朝鮮攻めはうまくいってません。朝鮮に渡った三成たちも手を焼いていることだろう。

 秀吉は2人で話がしたいということで家康の陣地にやってきました。

 「みなわしのことをあほになったと思っておる。狐に取りつかれとると。茶々は政には関わらない。自分には茶々が必要だ。茶々を守ってくれ」と秀吉が言うと

 「恐れながら茶々さまは遠ざけるべきかと」と家康が言うと

 「茶々を愚弄しているのか」と秀吉が言うと

 「目を覚ませ。サル」と家康が言いました。

 家康は怒って秀吉と揉めあっていたところを昌山が止めさせる。

 「てっぺんはひとりぼっちよ。信用するものを間違えたらいかんのう」と昌山が言いました。

 これをきっかけに秀吉は茶々を大坂に返し、家康たちの意見を聞くようになりました。

 1593(文禄2)年、三成らが朝鮮から帰りました。明国の使者もやってきていました。

 「異国での戦、大儀であった。万事そなたらの言う通りにいたす」と秀吉が言いました。

 これで文禄の役は終結しました。

 そこに秀吉に茶々から書状が届けられる。

 「茶々がやってくれた。身ごもった」と秀吉は言いました。

 茶々が妊娠して秀吉がまた暴走しそうな気配がした。

 感想としては朝鮮出兵回。浅野長政と同意見の大名がいたと思います。それを言える長政はすごい。異国の地で戦することはつらかったでしょう。それにしても義昭の変わりっぷりに驚きました。

これからも当ブログをよろしくお願いします。

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