こんにちは。ひろくんです。
台風が近づいています。進路を確認して気をつけてください。
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今日はどうする家康第31話のネタバレ&感想を書いていきたいと思います。ネタバレになりますので復習がてら読んでいただきたいです。ネタバレ嫌な方はごめんなさい。
柴田勝家に勝利したことで天下人の階段を昇り始めた羽柴秀吉。
家康は名代として石川数正を大坂に送り「初花肩衝」を秀吉へプレゼントしました。初花肩衝は名物茶道具です。
そのことについて家臣たちは反発します。
「秀吉に臣従するおつもりか」と榊原康政が聞くと
「そう思うか。康政」と家康が言うと
「秀吉を油断させるため。しかるときのため、見定めるため」と本多忠勝が言うと
「数正が秀吉の腹の内をさぐってきてくれるじゃろう」と家康が言いました。
数正が大坂から帰ってきて家康に報告。
「赤子のように大泣きした?」と家康が聞くと
「はい。「初花肩衝」を手にして感涙し、私の手をとって仲良くやろうと。なにもかもが芝居のようで。なにもかもが心のままであるようにも見えました。得体の知れん」と数正が答えます。
数ヶ月後、家康の元に信長の次男である信雄から会いたいとの書状が届く。家康は信雄に会いました。信雄は安土城を追い出され秀吉に利用されていたことを実感する。
「このままでは父に顔向けできぬ。秀吉から天下を取り返してくれ。わしとともにあの盗っ人を倒してくれ」と信雄がお願いすると
「織田と徳川は何をおいても助け合う。この清洲で私とあなたの父上は盟約を結びました。あれから20年。なんとか守り抜いてきた。それは今後も変わらぬと心得ております。ただし、今の秀吉と戦うのは並大抵でございます。刺し違える覚悟ございますでしょうか」と家康が聞くと
「無論じゃ」と信雄が答えます。
「少し猶予をください」と家康は言って信雄と別れます。
1584(天正12)年2月、家康が動き出しました。そのことについて信雄が涙を流して喜ぶ。
「礼を言う。礼を言うぞ。徳川殿」と信雄が言うと
「池田恒興殿の調略できますか?」と家康が聞くと
「やってみる」と信雄が答えると
「この家中にも秀吉に通じているものがいる。秀吉に知られずどこまで調略できるかが勝負の分かれ目ですぞ」と数正が言いました。
信雄は早速、秀吉に内通していた家老3人を処罰する。この処罰が秀吉との戦の合図になりました。3月13日、岡崎城に徳川の軍勢が集まりました。
「皆の衆、この戦は日ノ本を2分する大戦になるであろう。織田信雄さまのもと、今こそわれらが天下をとるときぞ」と家康が言いました。
越中の佐々成政、四国の長宗我部元親、紀伊の雑賀衆が動き出したので兵を分散できれば勝ち目はあると家康は読んでいました。
徳川軍は清洲城に入り信雄を含めて軍議が開かれているなか、味方につくはずだった池田恒興が尾張を攻め込もうとしています。
そのことで秀吉包囲網が崩れ10万を超える秀吉の軍勢と戦うことになる。信雄は現状を知り怯えている。
池田勢は一気に犬山城を落とし、恒興の娘婿である森長可が楽田城に向かっている。楽田城は清洲城と目と鼻の先。さらに信雄が怯える。
「秀吉相手の戦、もとより思い通りにいかん。総大将うろたえるな。信長の息子であろう。しっかりとせい」と家康が言いました。
酒井忠次、石川数正、本多忠勝、榊原康政、井伊直政がそれぞれ撃って出ると言います。
「お主らの出番はまだ先じゃ。殿はすっかり頼もしくなられた。そしてお前たちもおる。必ず勝てると信じておる。あとは頼んだぞ。お前たちがやるんじゃ。殿、私にはこのあたりがちょうどよい死に場所と心得ております」と忠次が言いました。
「生きて帰ってこい」と家康が言いました。
忠次は羽黒に陣を張り長可隊を追い払いました。
「われらも前に出よう。秀吉を引っ張りだすぞ」と家康が言いました。
家康が小牧山城に陣を移して秀吉を迎えうつ体制をとり戦が始まろうとしていた。
感想としては小牧長久手の戦いまでの話。秀吉がどんどん強大になっていくうえで家康としては百姓上がりの秀吉に負けたくないプライドがあったのではないかと思います。
これからも当ブログをよろしくお願いします。
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