♯545 どうする家康第29話ネタバレ&感想 ~伊賀を越えろ~

こんにちは。ひろくんです。

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 今日はどうする家康第29話のネタバレ&感想を書いていきたいと思います。ネタバレになりますので復習がてら読んでいただきたいです。ネタバレ嫌な方はごめんなさい。

 本能寺で信長が自刃したあと嫡男信忠も妙覚寺に滞在していたが本能寺の変を知り助けにいこうとするが自刃したことを知り逃亡することをせず二条御所にて応戦。多勢に無勢で信忠も自刃する。

 光秀はあっという間に京を制圧して天下人に向けて着々と準備を進めている。信長親子を討ち取ったいま家康の首を狙っている。

 光秀の近くにいる信長配下の武将は家康だけだったので懸賞金をかけられるほど。

 家康は京を出て岡崎を目指している。茶屋四郎次郎からもらったお金も底がつき服部半蔵らが農家から奪った大根で飢えをしのぐありさま。

 「殿、伊賀越えでまいりましょう」と半蔵が満身創痍の家康一行に提案します。

 「伊賀は織田との戦でひどい状態だと聞く。大丈夫なのか?」と酒井忠次が聞くと

 「伊賀が一番の近道です。それに伊賀の国は服部党の故郷です。伊賀に入れば安心です」と半蔵が言うと

 「途中、夜を過ごせるところはあるのか」と忠次が聞くと

 「この先に小川城が」と半蔵が答えます。

 小川城は甲賀忍者の親玉で何度か戦を手伝ってもらったことがある多羅尾光俊が主を務めている。

 「受け入れてくれるかどうか」と忠次が言うと

 「頼るしかない」と家康が返すと

 「追っ手を欺くために3つに別れましょう」と石川数正が提案しました。

 忠次は信楽の近江路。数正は人目につきやすい桜峠を行くと言う。

 「おまえら、おとりになるのか?」と家康が聞くと

 本多忠勝と榊原康政が代わりにおとり役になろうとするが

 「もう若くない私たちは足手まといになります。これからはお前たちが殿を支えていくのだ」と数正が言い

 「殿、どうかご無事で」と忠次が言い

 「殿、これまで長い間」と数正が言うと

 「そんなこと言うな。死んだら許さんぞ」と家康が言いました。

 伊勢の白子浜で合流する約束をして3つに別れます。

 小川城の主である多羅尾は歓迎ムードですが盗賊のような風貌をしており家康一行は警戒心を強めている。

 「あれはまずいでしょう」と康政が言い

 「引き揚げたほうがいいでしょう」と忠勝が言います。

 警戒するなか食糧を抱えたものがやってきました。甲賀衆の伴与七郎たちです。与七郎は瀬名たちを今川から奪還するときに手助けしてくれた仲間でした。

 家康たちの警戒心はとけて多羅尾はよくしてくれています。しかし伊賀越えには難色を示します。

 伊賀は織田と対立していたので織田の味方をしていた家康たちが入ると危険ではないかとのこと。多羅尾は信楽に入るのが安全なので護衛してくれると言う。

 その晩、家康たちは話し合う。

 「どう思う?」と家康が聞くと

 「どうも親切すぎるかと。信楽に明智の兵が待っているのかもしれません。山伏の装束は家康の印だと知らせているのだと」と半蔵が忍びらしいことを言いました。

 翌朝、多羅尾たちが迎えにくる約束でしたが半蔵のことを信じてそれまでに出発して伊賀越えを勧告。

 翌朝、伊賀に入った家康一行は山中で伊賀忍者の集団に見つかり捕まって牢獄に入れられる。

 伊賀の頭領である百地丹波は家康の首を光秀に送ると言う。

 「わしの首はやる。だから他のものは離せ」と家康は嘆願すると伊賀の軍師がやってくる。軍師の正体は本多正信だったのです。

 本多正信は三河一向一揆にて家康を裏切り追放されている。

 「こりゃ驚いた。本当に家康じゃ。こんなところで会おうとは惨めじゃな」と正信が言いました。

 家康は丹波に明智を討って天下をとるから恩を売れという。

 正信の計らいで家康たちは助けられる。

 「身をもって伊賀ものを助けようとする殿など初めて見ました。なかなかの主になられたようで」と正信が言いました。

 別のところで捕まっていた忠勝たちも釈放されて伊勢の白子浜に到着した。

 「待ちくたびれましたぞ。殿」と忠次が言いました。

 忠次と数正は誰にも会わずに白子浜に到着していた。多羅尾は悪ではなく親切な人だったのです。

 「これではどちらがおとりかわからんではないか」と家康が言うと

 「よいではござらぬか。こうしてみなで無事に帰れたのだから」と正信が返すと

 「正信の言う通りじゃ。正信?なにゆえ」と数正が聞くと

 「伊賀でただ飯を食らっておりました」と正信が返すと

 「正信、気が向いたら浜松に来い。半蔵。こたびのことは服部党のおかげ。褒美をつかわす。今日からお主は立派な武士じゃ」と家康が言うと

 「武士。わしは元々武士でござる」と半蔵が言いました。

 そんなこんなで家康たちは岡崎城に無事に帰ってくることができました。

 「殿、穴山梅雪殿が討たれました」と大久保忠世が言いました。

 穴山梅雪は家康と別行動で移動していたが落ち武者狩りに遭ってしまう。

 「明智を討たねばなりませぬな」と数正が言いました。

 本能寺の変から11日後、山崎の戦いが起こり光秀は坂本城へ敗走中に落ち武者狩りに遭い討たれました。

 中国大返しを行った秀吉が信長の仇を討ったのです。

 感想としては家康3大危機の1つ伊賀越え。幾多のピンチを乗り越えれるのは運のいい人物です。梅雪も行動をともにしていたら助かっていたと思うとかわいそうですね。

これからも当ブログをよろしくお願いします。

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