こんにちは。ひろくんです。
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今日はどうする家康第41話のネタバレ&感想を書いていきたいと思います。ネタバレになりますので復習がてら読んでいただきたいです。ネタバレ嫌な方はごめんなさい。
石田三成が失脚して大坂城本丸には豊臣秀頼と茶々が住んでいる。
家康は内大臣となり北政所の代わりに西の丸で政務を行っている。それを嫌うものたちもいる。浅野長政、土方雄久、大野治長です。
「この企て皆さまだけでできると思いませぬ。誰の指図でしょうか」と本多正信が聞くと前田利長だとわかります。
長政は蟄居、雄久と治長は流罪になりました。
「毛利、上杉、宇喜多、他の大老たちも油断ならんのう。厳しく取り締まるしかないですなあ」と正信が言いました。
家康が最も気にしていたのは三成でした。
三成のもとに大谷吉継が訪れ、家康に吉継が報告。
「治部はわだかまりは捨てたようで。実に穏やかに過ごしておりました」と吉継が言うと
「よかった。まことによかった」と家康は安堵しました。
1600(慶長5)年春、上杉景勝に不穏な動きありとの報告。
「橋、道、河川をせっせと作って新たな城も築いています。牢人や武具を集めてるという噂はかねがね。ま、武家の習えと言われればそれまで」と正信が言うと
「越後を取り返そうとみなが恐れております」と井伊直政が言うと
「戦をしようとしている疑いをかけるには十分」と本多忠勝が言うと
「相手は大老。慎重に進めよう」と家康が言いました。
上杉に再三上洛を命じますが応じてくれません。その話は茶々の耳に入ります。
「太閤殿下が武力で天下統一したように家康殿も武力でまとめてはどうですか」と茶々が聞くと
「上杉殿は遠からず上洛されると思います」と家康が言いました。
最後通告の書状を送ると直江兼続から家康を馬鹿にするような返事がくる。俗に言う直江状である。
「上杉は自分が挙兵すれば後に続くものがおると感じているのであろう。乱世を生きた武士らしい」と正信が言うと
「大軍勢で取り囲み降伏させる。戦を防ぐにはそうするほかない」と家康が言いました。
家康は挙兵を決めて茶々に報告。
「この戦が天下の大乱にならんだろうな」と茶々が聞くと
「そうならぬため秀頼さまの世を安寧にするためにございます」と家康が言いました。
家康は秀頼から軍資金と兵糧をもらう。
6月。伏見城に会津征伐軍が集結。福島正則、藤堂高虎、黒田長政らそうそうたるメンバー。徳川軍はこれまで一緒に苦楽を共にした本多忠勝、榊原康政、井伊直政、渡辺守綱、鳥居元忠らがいます。
「またお前たちと戦場に出ることがあろうとはな」と家康が言いました。
徳川軍は最後の大暴れと気合いを入れる。江戸で徳川秀忠と平岩親吉が合流して会津に向かう。
自分が留守にすると京を攻められる可能性があるため家康は幼馴染の鳥居元忠に伏見城を託す。
家康と元忠が一緒に杯を交わしている。
「殿のお留守謹んでお預りいたします。殿、わしは挙兵したいやつはすればいいと思っております。このわしがみんなねじ伏せてやります。上方は徳川一の忠臣この鳥居元忠が命に代えても守ってみせます。殿、宿願を果たすときですぞ。戦なき世を成し遂げてくださいませ」と元忠が言うと
「彦、頼んだぞ」と家康が言いました。
数日後、恐れていたことが起きる。吉継が三成の三男を戦のお誘いに行くとやってきたのは三成だった。
「治部、やめておけ。徳川殿はお主を買っておる。ともにやりたいと申しておった」と吉継が言うと
「信じておらん。殿下のお決めを次々に破り政を思いのままにしておる。野放しにしておけばいずれ豊臣家は滅ぼされるに違いない。家康を取り除けば殿下の思い通りの政ができる。今度こそ殿下の思い通りにできる。刑部、正しき道に戻そう」と三成が言うと
「われらだけの手勢で何ができる」と吉継が聞くと
「奉行衆と大老を味方につければ勝てる」と三成が言いました。
そして三成が挙兵して反家康派が大坂城に集結。毛利輝元を総大将としてその中には吉継もいた。
大坂の状況を知った家康は
「われらが逆臣に仕立てられたか」と家康が言いました。
そこに茶々から書状が届けられる。
書状には治部が勝手なことをして怖くてたまらないのでどうにかしてほしいと書かれています。
それを読んだ家康は高笑いするのであった。
感想としては三成挙兵回。三成としては何もかも許せなかったのでしょう。関ヶ原の戦いが近づいています。
これからも当ブログをよろしくお願いします。
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