♯595 どうする家康第35話ネタバレ&感想 ~欲望の怪物~

こんにちは。ひろくんです。

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 今日はどうする家康第35話のネタバレ&感想を書いていきたいと思います。ネタバレになりますので復習がてら読んでいただきたいです。ネタバレ嫌な方はごめんなさい。

 家康が上洛を決意をしたことを知った秀吉は母の大政所を人質として送り、大政所はとても不機嫌で誰も声をかけない。そこに旭姫がやってくる。

 「旭、来てくれたんか。わしゃあ、足が悪いちゅうに。こんなところに母親を追いやるなんて」と大政所が言いました。

 大久保忠世が迎えたけど見向きもせずに美男子の井伊直政をとても興味深々でした。

 大政所がやってくる前に家康は大坂の秀長屋敷にいた。

 「まことによう参りました」と秀長が言うと

 「参るのが遅くなりまして」と家康が返すと

 「いえいえ。兄も私も心から喜んでおります。明日、兄に会いに行くにあたって」と秀長が話していると秀吉がやってくる。

 にらみあう秀吉と家康でしたが秀吉は家康の手を握る。

 「よう来てくれたのう」と秀吉が言うと

 「左様な猿芝居はなしにしましょう」と家康は言いました。

 そして寧々と侍女を招いて宴が開かれている。家康は付き合いそして家臣たちも嬉しくありません。秀吉は寧々に家康の家臣を紹介する。家康のお供しているのは酒井忠次、本多正信、榊原康政、鳥居元忠でした。

 秀吉は順に紹介していくが元忠だけあんた誰だったっけ?だと言うと秀長に鳥居元忠殿と言われ秀吉は元忠を自分の家臣にほしいと言い元忠は困惑。

 「ええではないか。のう徳川殿。わしらはもう敵ではない。おめえさんの息子をわしがもらい、わしの妹をおめえがもらった。つまりわしらはもう一つの家だわ」と秀吉が言いました。

 そう言われて愛想笑いする家康と忠次。家康たちは気分がよくないけど宴が続き、秀吉が酔って寝てしまったところで宴を終える。

 「夫がこんな姿になったのは久しぶりです。呆れたことでしょう」と寧々が言うと

 「いえ」と家康が返すと

 「人を知るには下から見上げるべし。兄は昔から言うておりました。人は相手を下に見ているときに本性が現れると。みっともねえ姿をさらして常に相手の本性を見極めると」と秀長が言いました。

 それを聞いて家康たちはドキッとする。

 「また信用できると思えた人は2人だけ。信長様と家康殿。この2人には表裏がないと。信長様の目指したものを受け継げるのは今や兄と徳川殿しかいません。だから兄は徳川殿が来てくれて本当に嬉しかったのだと思います。どうぞ、末永く支えやってくだせえ」と秀長が言いました。

 「殿下が人たらしと言う所以がわかりました。秀長殿に北政所さま、よいお身内をお持ちでございますな。起きておいででしょう」と家康が言うと秀吉は立ち上がり

 「おめえさんにはかなわんわ」と秀吉は言うと

 「ご安心めされ。この家康、殿下を支えることを決めました」と家康は言いました。

 秀吉の紹介はこんな感じです。

 酒井忠次 「徳川殿、第一の家臣」

 本多正信 「知恵物」

 榊原康政 「わしの悪口をさんざん書いた」

 翌日、大坂城の大広間にたくさんの大名たちが集まりました。そこで秀吉にひれ伏す家康。

 「徳川三河守家康。関白殿下のもと天下一統に励みまする。ついては殿下の陣羽織を頂戴しとうございます」と家康は言いました。

 秀吉と家康の芝居。陣羽織は戦場に着ていくもので家康は秀吉に二度と戦場へ行かせず自分が撃退しますと宣言する。

 そのころ、岡崎城では北政所の相手を井伊直政がしている。北政所は直政の顔を気に入っている。本当は家康のお供する予定でしたが元忠に変更されました。

 大坂城の主殿では祝いの儀がつつなく進んだことを喜ぶ秀長。でも不機嫌な秀吉。

 「ここに来なかった大名がおる。わしゃあ、そやつらを叱り飛ばしに西へ向かう。おめえさんは東の北条を頼む。軍勢を差し向けて叱り飛ばして頂戴」と秀吉が言うと

 「北条はうまく説得します」と家康が返すと

 「ただ殿下。その前に厄介ごとが残っておりまして」と忠次が言うと

 「真田でございますな」と秀長が言うと

 「相変わらず北条に与えた沼田に居座っております」と忠次が言うと

 「まあ、真田は表裏比興なものでな」と秀吉が言うと

 「表と裏を使い分けるくせもの。われらも手を焼いております」と秀長が言うと

 「力は貸すに。しっかりしゃあせ」と秀吉が言いました。

 家康が帰る前日。石田三成と出会いました。家康と三成が星座講義で意気投合している。

 1586(天正14)年11月20日。家康は浜松城に帰りました。

 1587(天正15)年3月18日。家康は真田昌幸、信幸親子と会いました。

 「殿、こちらが真田昌幸殿。そのご子息信幸殿にございます。真田殿、こちら徳川中大納言様にあらせられる」と忠次が言いました。

 昌幸は挨拶もせずに無言を貫いている。

 「真田殿。色々とありましたがこうしてはせ参じてくれたのは大変結構なこと。しからば沼田の地を北条に渡してくれますな」と忠次が言うと

 昌幸はさらに無言。忠次に「答えよ」と言うと

 「徳川殿には幾度となく同じことを聞かれ、そのたびに同じお答えをしてまいりました。それでもまた同じことを聞かれ。徳川殿は言葉がおわかりにならないのかと」と昌幸が言うと

 「無礼であろうが」と忠世が言うと

 「よい。家康である。なぜ沼田を渡してくれぬ」と家康は聞きました。

 すると、昌幸は家康の後ろにある壺を見つめている。

 「見事な壺でございますな。信幸、そなたにやろう」と昌幸が言うと

 「お主のものでなかろう」と忠世が言うと

 「みなさんもご存知であったか。他人のものを人にやることができないことを。沼田はわれらが切り取ったもの。徳川殿が北条にやることはできませぬ」と昌幸が言うと

 「真田殿、貴殿は徳川の与力である。沼田を明け渡せ」と正信が言うと

 「できませぬ。与力であっても所領を渡す道理はありませぬ」と昌幸が言うと

 「わかった。沼田のことはわしにも落ち度があった。代わりに所領を与えよう。それでどうじゃ」と家康が譲渡するけど昌幸は無言。

 「この辺で手をうつのが身のためじゃぞ」と忠次が言うと

 「ありていに言えば、徳川殿に一度、踏みにじられておりますでな」と昌幸が言うと

 「ならば何を望む」と家康が聞くと

 「信幸に徳川殿の姫をいただくのはどうでしょう」と昌幸が言うと

 「何を無礼な。身の程をわきまえよ」と忠世が言うと

 「その物言いがわれらをないがしろにしている証。徳川殿の姫をいただきたい」と昌幸が言うと

 「あいにく殿には年頃の姫がおりませぬ」と忠次が言うと

 「ならば重臣の姫を徳川殿の養子にしていただいても構いませんが」と昌幸が言いました。

 昌幸は課題を残して帰っていきました。

 「食えんやつよ」と忠世が言うと

 「まさに表裏比興のものじゃ」と正信が言うと

 「信玄と勝頼があの世に持っていくのを忘れた武田の忘れものよ」と家康が言いました。

 この後、家康と真田親子の宿命として関わっていくのである。

 感想としては家康上洛回。家康としてはつらかったでしょう。忍耐力があって長生きしたからこそ天下人になれたんだと思います。

 

これからも当ブログをよろしくお願いします。

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