♯566 どうする家康第32話ネタバレ&感想 ~小牧長久手の激闘~

こんにちは。ひろくんです。

 今日高校野球準決勝が行われ仙台育英と慶応義塾が勝ちました。夏連覇を目指す仙台育英と第2回大会以来103年ぶりの優勝を狙う慶応義塾。決勝は明後日14時プレイボールです。

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 今日はどうする家康第32話のネタバレ&感想を書いていきたいと思います。ネタバレになりますので復習がてら読んでいただきたいです。ネタバレ嫌な方はごめんなさい。

 秀吉が陣を引いた楽田城には10万の大軍。家康は小牧山城に本陣を構えて砦を築いて合戦の準備をしている。徳川の軍議が開かれて総大将織田信雄が質問します。

 「あんな大軍にどうやって勝つのか」と信雄が聞くと

 「あれだけの軍勢、食わせるだけでも大変なことでございます。長引けばわれらに有利に。和議を結ぶにも有利になるでしょう」と石川数正が言うと

 「和議?また弱気なことを。勝利のみでござる」と本多忠勝が言いました。

 榊原康政、井伊直政の2人も本多忠勝と同意見でした。

 「秀吉もあれだけの軍勢、簡単には動いてこんであろう」と家康が言うと

 「少し焚き付けみますか」と本多正信が言いました。

 徳川勢は城の裏から食糧を運びいつまでも籠城する覚悟です。

 そのころ、秀吉側でも軍議が開かれている。参加しているのは秀吉の弟の秀長、加藤清正、福島正則らです。

 そこに池田恒興と森長可が紙を持ってやってくる。その紙は榊原康政がばらまいたものです。そこには秀吉が野人の子だとか信長の恩を忘れた男など悪口が書かれている。

 秀吉が怒って我を忘れて攻めてくることを狙った作戦だと気づく。

 「家康はこの卑しい野人の前にひざまずくのだわ」と秀吉が怒りを抑えて言いました。

 その翌日、小牧山城で動きがあり、また新しい堀を作っている。指示しているのは榊原康政。

 「この図面通りに掘れ」と康政が言いました。

 正則は小牧山城を力攻めすることを提案。そこに恒興と長可が中入りを提案。恒興と長可が小牧山城を回り込んで家康の故郷である岡崎城を攻める。手薄になっている岡崎城に家康らが救援しにいったところを秀吉の本陣で挟み撃ちにする。この中入りは信長がよく使った作戦です。

 「中入りちゅうのはええ策じゃねえ。本陣を減らしてしまう。無駄に兵を減らすのはうまくねえわ」と秀吉が言いました。

 秀吉も他に策が無いため中入りを決断。総大将を秀吉の甥である秀次として恒興と長可を中心に軍を形成する。

 そして3万の兵で岡崎城を攻めることになる。

 1584(天正12)年4月6日。秀吉軍は動き出しました。

 「間違いなく中入りでござる」の数正が言うと

 「案の定じゃな」と家康が言いました。

 秀吉軍の中入りを見破っていたのは正信でした。正信は今や家康の懐刀です。このまま追っていくと三方ヶ原の二の舞いとなってしまう。そのため秀吉に気づかれないように中入り勢を攻撃したい。そう考えて策を出したのが康政でした。元は三河の国衆の1人にすぎなかった家康がここまで生き残れたのはよい家臣に恵まれたからです。

 「皆のものよ。今こそわれらの手に天下をつかむときぞ。出陣じゃ」と家康が言いました。

 大きく成長した家康を酒井忠次と石川数正は頼もしく見ていた。

 4月9日未明に徳川軍出陣。

 そして秀吉に中入り勢が奇襲されて恒興と長可が討ち死にしたことが報告される。

 秀吉はずっと小牧山城を見張らせていたのになぜこうなったのか?と考えている。

 「堀じゃねえ。奴らがせっせと掘っていたのは守るためではなく密かに撃って出るための抜け道じゃ」と秀吉が言いました。

 そして秀吉軍は撤退する。

 その日の夕方、小牧山城では勝どきをあげて祝杯が行われている。信雄も上機嫌で家康の手を握っている。

 「徳川殿、ようやってくれた。これで秀吉に勝てる。われらの天下じゃ」と信雄が言いました。

 みんなが喜んでいるなか、1人険しい顔をして楽田城を見つめる数正。

 「こんなときにはみなと素直に喜べ」と家康が言うと

 「喜んでいます。会心の勝利。見事でござった。されど、秀吉には勝てぬと存じます。一つ戦を制しただけでは秀吉はわれらの弱みにつけこんでくると存じます」と数正が言いました。

 信雄が喜んでいる姿を見て不安になる数正。その数正を見て家康も不安になるのだった。

 感想としては小牧長久手の戦い回。秀吉に勝てたものの数正の予知能力はすごいことです。

これからも当ブログをよろしくお願いします。

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