♯686 投球&守備のルール変更 ~歴史~

こんにちは。ひろくんです。

 最近急に冷え込んできて冬になってしまいました。体調管理に気をつけてください。

 今日は投球&守備のルール変更の歴史を書いていきたいと思います。

 投球の歴史

 最初は投手には下手投げのみ許可されていた。手首のスナップを使うことが禁止されていて、打者は投球コースを指定できた。

 1858年 打者がボールを見逃すとストライクになる

 1863年 真ん中付近を通らない球はボールになる

 1872年 スナップスロー解禁

 1879年 全ての打たれなかった球はストライクかボールになり、9ボールで1塁へ

 1880年 8ボールで1塁へ。捕手が3ストライク目の球を直接捕球すれば打者は三振となりアウト

 1881年 投手と本塁の距離が45フィートから50フィートに延長

 1882年 7ボールで1塁へ。横手投げ解禁

 1884年 6ボールで1塁へ。上手投げ解禁

 1886年 7ボールで1塁へ

 1887年 打者が投手に投球指定禁止、5ボールで1塁へ。この年のみ5ボールは安打と記録され、4ストライクでアウト。死球で1塁へ。

 1889年 4ボールで1塁へ

 1893年 投手と本塁の距離が50フィートから60フィート6インチに延長

 守備

 1864年 ワンバウンド捕球アウト廃止。アウトはノーバウンドだけ

 勝敗の決め方

 1857年 21点先勝から9回終了時得点が多かったチームを勝ちとする

 現存する日米最初の設立年とチーム名

 日本 1934年 大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)

 米国 1871年 シカゴ・ホワイトストッキングス(現シカゴ・カブス)、ボストン・レッドストッキングス(現アトランタ・ブレーブス)

 ルール変更されながら現在に至ります。

これからも当ブログをよろしくお願いします。

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