こんにちは。ひろくんです。
2025年9月3日と17日に念願の大阪・関西万博に行ってきました。
初めに万博に行くまでの経緯を書いていきます。
なぜ行きたいと思ったのかと言うと人生で1度経験できるかわからないことそして地元である大阪が会場だったからです。
日本であっても遠かったら行くことが難しいです。
まず大阪でやってくれたことに感謝したいです。
万博の開催が大阪に決まったときから行きたいと思っていました。
僕は流行りのところと新しくできて興味あるところは行きたい人です。
開催決まったころは気管切開していないときでした。
翌年に一人暮らしを経験して体調不良により再入院。
その翌年にコロナ渦そして気管切開。
気管切開から翌年、退院に向けて車いす練習再開。そのときは低血圧そしてめまいもあり主治医の先生から座らないほうがいいと言われました。
コロナ渦で面会禁止だったけど退院に向けて準備なので特別にお父さんが来てくれていました。
ナイトトレーニング終わって一通り完了したので面会禁止になり車いす乗ることがありませんでした。
ちょっとして胃ろう増設。しばらくはしんどい時期が続いた。
気管切開から2年後、お父さん他界。お母さんはお父さんより5年前に他界している。
辛くてしんどい時期を乗り越えたら、体調が戻ってきた。
体調戻ってきたので念願の大阪・関西万博に行く計画を建てた。
4年寝たきりだったので、また車いすに乗って外出したいと伝えた。
主治医の先生に了承を得て、看護師さんとPTの協力のもと、2024年5月16日に車いす練習再開しました。
外出するには吸引など必要なので車いす練習と並行して弟に覚えてもらった。
文句も言わず協力してくれている弟には感謝しきれない。
車いす練習再開したころは短時間でもしんどかった。
車いすのバッテリー動かなかったので業者さんにお願いした。
僕の車いすは2010年製でバッテリー見つかるかわからないと言われた。
奇跡的にバッテリー見つかり、交換してもらったら動いた。
その時はとても嬉しかったです。
動いたので少しずつ座位に近づいて進んでいった。
座れるようになって操作練習再開。その時は低血圧とめまいなどなかった。
練習を続けて12月12日に6年ぶりの外出をすることができた。
外出してわかったが呼吸状態は前より楽だったけど、坂道や段差などで体勢維持することが難しくなっていた。
今年に入って初めて外出したときに体勢維持できず弟に車いす押してもらって帰ってきた。
そのことで体勢維持できるクッションをPTの先生に勧められた。
そのクッションをして外出したら、体勢維持できないこともあるが操作不能まではいかなかった。
その日は携帯ショップに新しいスマホを実際に触って、後日ネット注文。万博に行く準備を進めて9月の計画にした。
特に問題なかったので電車乗って出かけることにした。
弟1人では荷物多いため電車では難しいので、一人暮らしのときにお世話になったヘルパーさんがプライベートで来てもらって外出することができた。
僕は乗り鉄で電車乗って外出することが好きなので、これまで基本的に電車で外出していた。
5月に電車外出再開して、6月にお墓参りに行った。
万博に行くには長時間外出必要なので7月に甲子園歴史館へ。
甲子園に行けたので万博に行けるなと思った。
その日より事業所からヘルパーさんとして来てもらっている。
8月も予定通り外出し、いろいろネットで調べて万博外出の当日を迎えた。
9月3日(万博初日)
前日は楽しみすぎてあんまり寝れなかった。小学校の遠足のような気分。
お昼の栄養を早めにして予定より20分早くの10時40分に病棟を出発。
万博までは甲子園より少し移動時間がかかる。
体力温存のため、電車内で基本的にリクライニング倒して休憩した。
夢洲駅に着いたのが12時30分ごろ。地上に上がるとたくさんの国旗が掲げられていた。
痰溜まっているので入場する前に吸引をした。
吸引のあと、東ゲートの優先ゲートへ。手荷物検査が厳しかった。
優先ゲートは2つあり、1人しか待っていなかったのですぐに入れた。
アメリカ館とクウェート館に行く計画を建てていた。
アメリカ館は予約できない、クウェート館は抽選当たらず当日並ぶことに。
入ってすぐ、ミャクミャクと記念写真を撮った。
最初にアメリカ館へ行ったけど優先レーン封鎖されていて入れないため、クウェート館へ。
クウェート館に向かう途中で病棟の看護師さんに会って声をかけられた。
僕はタイガースカラーの車いす、阪神の枕、帽子、サングラス、黄色の半袖半ズボン、タイガースカラーのクロックスと目立つ黄色コーデ。
会えると思っていなかったのでビックリした。
人混みで目立つコーデだったから気づいてくれたと思う。
看護師さんと話してからクウェート館に向かう。
クウェート館に着くと、一般レーンは制限されていたが優先レーンはされておらず受付を通してもらった。
奥に進むと何グループか並んでいる。
20分待ってクウェート館に入館することができた。
最初観るところは映像だったが、僕の車いすは背もたれ高いので3列あるなかで1番後ろ。人も多く、前の人の隙間から少し見れた。温暖の風を肌で感じた。
次に行ったところで砂漠の砂を触った。とてもサラサラしていた。
砂漠の砂を実際に触れる機会は今後ないと思うので貴重な体験ができた。
最後に観たプラネタリウムをコンピューターグラフィックしたものがとても綺麗で感動した。
出口にショップあったけど寄らなかった。
そして大屋根リングに向かった。
大屋根リングにはエレベーターとスロープで1番上まで登れた。
ウォータープラザでは噴水ショーが行われていた。
1番上まで登ると、たくさんの人が歩いている。ここは大阪だが違う世界にいるようだった。
会場と反対側を見ると車が通り、大阪だと感じギャップがすごすぎる。
大屋根リングがすごいと聞いていたが、想像以上に木材建築のすごさを感じた。
その後、胃ろうから水分補給して帰路へ。東ゲートと駅と駅の中も記念写真撮影。そして病棟に戻った。
予定より1時間遅い17時になり、看護師さんに注意されてしまったけど、思い出に残る1日となった。
9月17日(万博2日目)
前回と違って前日はよく寝れた。
前回の反省を活かして早めに外出したいとお願いしたが、規則なので認めてもらえず予定より5分前に外出した。
それでも病院最寄り駅を前回より10分遅れ出発。乗り換えなどで遅れ、夢洲駅には12時30分を過ぎていた。
駅に着くと改札に上がるエレベーターが行列。1つしかないから時間かかる。
改札を出て、地上に上がるエレベーターも行列。こちらは2つある。
健常者の人も並んでいるので、混雑しているときは僕らを優先してくれるかエスカレーターを使ってほしい。
僕たち車いすユーザーはエレベーターしか使えないので自己中は控えていただけるととてもありがたいです。
地上に出て吸引したほうがいいなと思っていたが、もうちょっと大丈夫だったので先に入場することにした。
東ゲートの優先レーンには10人くらい並んでいる。
これまでたくさん外出してきたが、こんなに色んな場所で待たされた記憶はない。
前回に比べて遥かに混雑している。
前回は駅から入場(吸引時間除いて)まで10分くらいだったが、30分くらいかかってしまった。
入場したころは13時ごろ。前回より15分くらい遅くなりました。
今回はアメリカ館と西ゲート端にある未来の都市に行く計画をしていた。
未来の都市は日本企業共同パビリオン。予約できるがアメリカ館優先なのでしなかった。
アメリカ館は前回同様、優先レーン封鎖されており、未来の都市へ向かった。
未来の都市は駅から真逆にある。車いすのオブジェと西ゲートと西ゲート方面にいるミャクミャクとも記念撮影。
未来の都市は予約のみ入館できる規制になっている。
1番遠いところまで来たのに入館できなかったのが残念。
東ゲートに戻らないと行けないのでアトムとガンダムとも記念撮影。
いつでも入れるコモンズも規制かかっていた。
コモンズEは家康の甲冑展示されているので見たかったけど。
どこも入れることができないまま、暑いなか会場を散歩した。
前回同様、胃ろうから水分補給して帰路へ。予定より30分遅れて16時30分に病棟へ戻った。
スムーズに乗り換えできて時間短縮できた。
雰囲気を楽しむことができた1日だった。
9月なら涼しくなっているだろうと思ったが8月と変わらない暑さだった。
大阪・関西万博に行くことを目標に車いす練習頑張ってきた。
病棟から大阪・関西万博に行った患者は僕だけ。誇りに思いたい。
これまで長時間外出、人混みには慣れているので体力の問題だけだった。
たくさんの人に助けてもらって実現することができた。ありがとうと伝えたい。
2回行けたこと、そして晴れてくれたことを感謝している。
4年寝たきりでも大阪・関西万博に行けたので、同じ病気の人で久しぶりの外出を目標としている人の心の支えになればいいなと思います。
これからも当ブログをよろしくお願いします。
🔥6
コメント