こんにちは。ひろくんです。
最近急に冷え込んできて冬になってしまいました。体調管理に気をつけてください。
今日は投球&守備のルール変更の歴史を書いていきたいと思います。
投球の歴史
最初は投手には下手投げのみ許可されていた。手首のスナップを使うことが禁止されていて、打者は投球コースを指定できた。
1858年 打者がボールを見逃すとストライクになる
1863年 真ん中付近を通らない球はボールになる
1872年 スナップスロー解禁
1879年 全ての打たれなかった球はストライクかボールになり、9ボールで1塁へ
1880年 8ボールで1塁へ。捕手が3ストライク目の球を直接捕球すれば打者は三振となりアウト
1881年 投手と本塁の距離が45フィートから50フィートに延長
1882年 7ボールで1塁へ。横手投げ解禁
1884年 6ボールで1塁へ。上手投げ解禁
1886年 7ボールで1塁へ
1887年 打者が投手に投球指定禁止、5ボールで1塁へ。この年のみ5ボールは安打と記録され、4ストライクでアウト。死球で1塁へ。
1889年 4ボールで1塁へ
1893年 投手と本塁の距離が50フィートから60フィート6インチに延長
守備
1864年 ワンバウンド捕球アウト廃止。アウトはノーバウンドだけ
勝敗の決め方
1857年 21点先勝から9回終了時得点が多かったチームを勝ちとする
現存する日米最初の設立年とチーム名
日本 1934年 大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)
米国 1871年 シカゴ・ホワイトストッキングス(現シカゴ・カブス)、ボストン・レッドストッキングス(現アトランタ・ブレーブス)
ルール変更されながら現在に至ります。
これからも当ブログをよろしくお願いします。
🔥17
コメント